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歴史に出てくる鬼 2 「阿用の一つ目の鬼」 

 次に鬼の記述が見られるのは、『出雲国風土記』である。さっそくあたってみると、
   阿用(あよ)の郷(さと)。郡家の東南一十三里(さと)八十歩(あし)。古老(ふるおきな)の伝へて云(い)はく、昔、或(あ)る人、此処(ここ)に山田佃(つく)りて守(も)りき。尓(そ)の時、目(め)一つの鬼来(き)て、佃人(たひと)の男(おのこ)を食(く)ひき。尓(そ)の時、男の父母(かぞいろ)、竹原(たかはら)の中(うち)に隠(かく)りて居(を)る時に、竹の葉動(あよ)きき、尓(そ)の時、食(く)はゆる男、「動々(あよあよ)」と云ひき。故(かれ)、阿欲(あよ)と云(い)ふ。神亀(じんき)三年、字を阿用と改む。
  〈現代語訳〉
   阿用の郷。郡役所の東南十三里八十歩[七・一キロメートル]。古老が伝えて言うことには、昔、ある人がここに山田を耕して守っていた。そのとき、一つ目の鬼が来て、農夫の息子を食った。そのとき、息子の父母は竹藪の中に隠れていたが、竹の葉が揺れ動いた。そのとき鬼に食われている息子が、「ああ、ああ(あよあよ)」と言った。だから、阿欲という。神亀三年(七二六)、字を阿用と改めた。(注1)
とのようにあり、阿用の郷の名の由来があるが、ここに出てくる鬼が一つ目というのは、鬼の正体の一つと考えられている製鉄民に関係の深い鍛冶神である、隻眼一本足の天目一箇命(あめのひとつのみこと)という神をイメージさせる。
 また、神に仕えるものとして、片目を潰す習慣があったらしい。これについて馬場氏はこう論述されている。
   阿用の鬼はたぶんこのような意味をもつ一眼の人であったのだろう。神に付随するものとして、類似の力を発揮することが許され、人びとは神への敬虔な畏れからのみこの横暴を黙視し、このような者を〈おに〉と呼んだのではあるまいか。わずかな抵抗が怒りにふれ、阿用の若い農夫は「あよあよ」という悲鳴とともに落命した。この顛末の目撃者でもあった農夫の父母によってこの事件は伝えられたが、目一つの男の自信にみちた兇暴さが、抵抗不可能のものであることを、老いた父母は熟知していて竹原に逃れたのであろう。『日本書紀』には素戔鳴が姉の田を妬み「秋は捶籤(くしざ)し馬伏(ふせ)す」と書かれている。「捶籤」とは所有権を主張して他人の田に串をさすことであるが、この阿用の目一つの者も、勤勉な農夫の田に神串をさしに来たのかもしれない。しるしの串をさされることによって、収穫の喜びが一時に奪われることへの抵抗がこのような惨劇をよんだとも想像される。(注2)
 では実際に、この鬼とされた目一つの者とはいったい何者であったのか。次回へ続きます。


1.荻原千鶴全訳注『出雲国風土記』(〈講談社、1996年6月〉Ⅱ「各郡」/九「大原郡」/(二)「郷」〈291~3ページ〉)。引用箇所は〈291・3ページ〉。
2.馬場あき子著『鬼の研究』(〈三一書房、1971年6月第1版。1991年1月第1版22刷使用〉二章「鬼をみた人びとの証言」/1「鬼に喰われた人びと」/「阿用の一つ目の鬼」〈45~8ページ〉)。引用箇所は、〈46~7ページ〉。
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歴史に出てくる鬼1 「『日本書紀』の鬼」 

 鬼が歴史に初めて姿を現すのは『日本書紀』である。そこで、知切光歳氏の著書を見ていくと、
   朝倉宮の妖異と、朝倉山の鬼については『書記』に詳しい。斉明帝七年、帝は同盟関係にあった百済を扶(たす)けて、新羅を伐つべく兵を派遣し、御自らも皇太子以下を率いて九州に兵を進め、朝倉の橘の広庭の宮に遷(うつ) られた。その時、
    「朝倉ノ社ノ木ヲ斬リ払イテ此ノ(仮)宮ヲ作リタマウ。故ニ神、忿(いか)リテ(御)(おう)殿(との)ヲ壌(こぼ)ツ。亦、宮中ニ鬼火ヲ見ル、是ニ由テ、大舎人(おおとねり)及ビ諸ノ近侍スル人、病死者衆シ」
   斉明帝は老女帝に似合わぬ積極的な帝で、戦をしたり、大土木工事を起こしたりして、国帑(こくど)を費消し、国民はだいぶ恨んでいたらしい。行在所(あんざいしょ)の新築にしても何も神木を伐採するには当たらなかった思う。折りも折、国史に初見の鬼火が燃えたり、得体の知れない疫病のために、多くの侍臣(じしん)たちが倒れたので、時人(じじん)が神の怒り付会(ふかい)するのも肯ける。挙句の果は、七月になって帝御自信が不自由な行宮(あんぐう)で崩御された。寿六十八歳。
   八月朔日、皇太子中大兄皇子が、柩を守って磐瀬の宮まで還御の途中、
    「是ノ夕(ゆうべ)、朝倉ノ山ノ上ニ、鬼有ツテ、大笠ヲ着テ、喪ノ儀(ありさま)ヲ臨ミ視ル。衆ミナ嗟恠(あやしむ)」
   この朝倉山上の大きな笠をかむった鬼は、明らかに実在の鬼と『書記』は見ている。(注1)
と述べている。
 この、朝倉山(福岡県甘木市。鳥屋山の南に連なる山々)で斉明天皇の葬儀見ていたモノは鬼であり、それは笠をかぶり蓑を身につけているというものであった。これは客神(まろうどがみ)と似たものを彷彿させる。実際のところ、このころの人々は、鬼は笠と蓑を身につけていると考えていたらしい。


1.知切光歳著『鬼の研究』(〈大陸書房1987年8月〉第一部「鬼の系譜」/「日本神話の鬼たち」/「怨霊鬼蘇我一族」<105~11ページ>)。引用箇所は<107~8ページ>。

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