09 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. // 11

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

trackback: -- | comment: --

歴史に出てくる鬼 5 「『今昔物語集巻二十七「本朝付霊鬼」』」 

 『今昔物語集』巻二十七に見られる鬼について、まずは『今昔物語集』とはどのようなものだったのかを知る為に辞典に当たってみました。
  三十一巻。説話。撰者未詳。【書名】「今昔物語」の書名は、現存最古の写本で、現存諸本の祖本と見られている鈴鹿本以来のもので、他に根拠のある別称を見ない。平安末期の『七大寺巡礼私記』『中外抄』以下、中・近世の諸書に引く『宇治大納言物語』『大納言物語』『宇治物語』『宇治亜相物語』などを『今昔物語』の古称または別称に擬する説もないではないが、その多くは、源隆国撰の散佚説話集『宇治大納言物語』と『今昔物語集』を同一書視したことに由来する誤解または憶測で、現段階では承認しがたい。ただし、隆国撰の散佚説話集の衰退と散佚に伴って、中世、特に鎌倉末期以降において類書との混同や誤認が行われ、『今昔物語集』を『宇治大納言物語』などと誤り称した可能性は考えられてよい。なお、近世末新写の数本、版本、近世の書籍目録類に『今昔物語』とのみ記して「集」を欠くものもあるのは略称。書名の意味は、「今昔物語」の「集」の意。収録されている一千余話が例外なく「今(ハ)昔」で起筆され、原則的に「トナム語リ伝ヘタルトヤ」で結ばれていることから、個々の説話が独立した「今(ハ)昔(ノ)物語」であるわけで、『今昔物語集』はそれらを集成した作品という意味合いを持つ。書名のよみについては、一般に説話集の書名は和語部分を除いて音読を常とすることから、「今昔」も恐らく音読を可としよう。しかし近代には、「イマハムカシノモノガタリ」の呼称もかなり広く行われたようである。(注1)
と記されています。
 この『今昔物語集』のうちの巻第二十七は「本朝付霊鬼」と題されており、全四十五話からなっています。実際に鬼が出てくる話を見ていくと長くなりますので、また次回に。


1.日本古典文学大辞典編集委員会編『日本古典文学大辞典』(〈岩波書店、1984年1月〉684ページ「今昔物語集 こんじゃくものがたりしゅう」〈今野達〉)。
スポンサーサイト

[edit]

歴史に出てくる鬼 4 「鬼の語源」 

 期間があいてしまいましたが、今回は鬼の語源について。
 鬼の語源について邦光氏は、
   鬼の語源は隠(オン)だという。つまり隠と書いてこれをオニと読ませる。隠形(おんぎょう)の隠であり隠れた存在、姿の見えないのが本来である。
   元来、オとニで鬼と読ませている。このオが隠(オン)という字のオであるとすれば、ニという言葉にどんな意味があるのかということで、これはそのままでは日本語としてはいまひとつわかりにくい言葉である。ニ、一字であれば、似るという字もあるし、丹と書いて赤色の元である辰砂(丹)を示すこともある。荷物の荷もそうだが、一、二の二もある。そういう形で言えばニという字にどんな意味があるのか、はっきりしない。
   だから、オを尊称と解すると、ニだけが残ることになる。
   そこで、オとニをひとつにして、鬼は隠形の隠をそのままオニと読ませて成立したと解しても、何故、オニが鬼となったのかは、いまひとつ明らかとはいえない。(注1)
とあり、疑問を残しつつも、鬼は本来姿の見えないモノとしている。
   では、今現在の鬼のイメージが固まってきたのはいったいいつ頃だったのであろうか。それについては、おそらくではあるが、『今昔物語集』巻二十七「本朝付霊鬼」が大きな役割を果たしたと思われる。
 次回は『今昔物語集』についてです。


1.邦光史郎著『鬼の伝説』(〈集英社、1996年5月〉第一章「鬼の誕生」/「鬼の語源」〈16~20ページ〉)。引用箇所は、〈16ページ〉。

[edit]

歴史に出てくる鬼 3 「目一つの者」 

 では実際に、鬼とされた目一つの者とはいったい何者であったのか、これについて明解な意見を出しているのが谷川
氏である。谷川氏によると、
   まず結論からさきに言うと、片目の神は、銅や鉄を精錬する古代の技術労働者が、炉(ろ)の炎で眼を傷つけ、一眼を失くしたことに由来すると私は考えている。弥生時代に始まった金属精錬の技術は、中国大陸あるいは朝鮮半島から将来されたものであるが、当時は、そうした技術をもって石よりも硬く鋭い製品を作り出すことは、神にもひとしい仕業(しわざ)として驚歎の的となったことは想像するにむずかしくない。したがって眼をやられた労働者は神としてあがめられた。それが目一つの神の起源にほかならなかったと私は思う。(注1)
とのことである。
 これでは、鬼と神はイコールで結ばれてしまうのであるが、片目の鬼もいるのでここであげることにすると、
   和歌山県牟婁郡色川字樫原には、狩場刑部佐衛門を祀る王子権現というのがある。伝えるところによると、この辺りにヒトタタラという片目片足の鬼が住んでいて、熊野三山へ参詣する旅人を悩ました。そこで刑部佐衛門がこの片目片足の鬼を討ち取って、山林数千町を卿民のために与えたことから、かく祀られているのだという。ヒトタタラは、那智三山の一峰妙法寺の阿弥陀寺の釣鐘をかぶっていたので、長い間この鬼を討つことが出来なかったとか。(注2)
という鬼もいる。
 また、私の記憶が正しければ、イッポンダタラという一つ目一本足の妖怪が奈良県や和歌山県の辺りに出現したという話があったと思うが、ここで注目したいのは、谷川氏のいう片目の神(おそらく鍛冶神の天目一箇命)とヒトタタラの関係である。
ヒトタタラの「タタラ」とはおそらく、製鉄で使う蹈鞴(たたら)のことを指すのだと思う。また、製鉄の課程でこの蹈鞴を踏んで風を送る作業で方足を不自由にしてしまうらしい。隻眼一足の天目一箇命は製鉄民のイメージと重なる。
このことから、片目の神とヒトタタラという鬼は製鉄民として考えていいといえる。
ここで、あらためて最初の問題に戻るが、鬼とは何かと考える上で重要なのは、鬼の語源である。
次回は鬼の語源について続きます。


1.谷川健一著『鍛冶屋の母』(〈河出書房新社、2005年7月〉第一部「鍛冶屋の母」/「弥三郎婆」〈11~54ページ〉)。引用箇所は、〈17~8ページ〉。
2.若尾五雄「鬼と金工」(小松和彦編折口信夫ほか著/怪異の民俗学④『鬼』〈河出書房、2000年10月〉所収〈384~400ページ〉)。引用箇所は、〈390ページ〉。

[edit]

歴史に出てくる鬼 2 「阿用の一つ目の鬼」 

 次に鬼の記述が見られるのは、『出雲国風土記』である。さっそくあたってみると、
   阿用(あよ)の郷(さと)。郡家の東南一十三里(さと)八十歩(あし)。古老(ふるおきな)の伝へて云(い)はく、昔、或(あ)る人、此処(ここ)に山田佃(つく)りて守(も)りき。尓(そ)の時、目(め)一つの鬼来(き)て、佃人(たひと)の男(おのこ)を食(く)ひき。尓(そ)の時、男の父母(かぞいろ)、竹原(たかはら)の中(うち)に隠(かく)りて居(を)る時に、竹の葉動(あよ)きき、尓(そ)の時、食(く)はゆる男、「動々(あよあよ)」と云ひき。故(かれ)、阿欲(あよ)と云(い)ふ。神亀(じんき)三年、字を阿用と改む。
  〈現代語訳〉
   阿用の郷。郡役所の東南十三里八十歩[七・一キロメートル]。古老が伝えて言うことには、昔、ある人がここに山田を耕して守っていた。そのとき、一つ目の鬼が来て、農夫の息子を食った。そのとき、息子の父母は竹藪の中に隠れていたが、竹の葉が揺れ動いた。そのとき鬼に食われている息子が、「ああ、ああ(あよあよ)」と言った。だから、阿欲という。神亀三年(七二六)、字を阿用と改めた。(注1)
とのようにあり、阿用の郷の名の由来があるが、ここに出てくる鬼が一つ目というのは、鬼の正体の一つと考えられている製鉄民に関係の深い鍛冶神である、隻眼一本足の天目一箇命(あめのひとつのみこと)という神をイメージさせる。
 また、神に仕えるものとして、片目を潰す習慣があったらしい。これについて馬場氏はこう論述されている。
   阿用の鬼はたぶんこのような意味をもつ一眼の人であったのだろう。神に付随するものとして、類似の力を発揮することが許され、人びとは神への敬虔な畏れからのみこの横暴を黙視し、このような者を〈おに〉と呼んだのではあるまいか。わずかな抵抗が怒りにふれ、阿用の若い農夫は「あよあよ」という悲鳴とともに落命した。この顛末の目撃者でもあった農夫の父母によってこの事件は伝えられたが、目一つの男の自信にみちた兇暴さが、抵抗不可能のものであることを、老いた父母は熟知していて竹原に逃れたのであろう。『日本書紀』には素戔鳴が姉の田を妬み「秋は捶籤(くしざ)し馬伏(ふせ)す」と書かれている。「捶籤」とは所有権を主張して他人の田に串をさすことであるが、この阿用の目一つの者も、勤勉な農夫の田に神串をさしに来たのかもしれない。しるしの串をさされることによって、収穫の喜びが一時に奪われることへの抵抗がこのような惨劇をよんだとも想像される。(注2)
 では実際に、この鬼とされた目一つの者とはいったい何者であったのか。次回へ続きます。


1.荻原千鶴全訳注『出雲国風土記』(〈講談社、1996年6月〉Ⅱ「各郡」/九「大原郡」/(二)「郷」〈291~3ページ〉)。引用箇所は〈291・3ページ〉。
2.馬場あき子著『鬼の研究』(〈三一書房、1971年6月第1版。1991年1月第1版22刷使用〉二章「鬼をみた人びとの証言」/1「鬼に喰われた人びと」/「阿用の一つ目の鬼」〈45~8ページ〉)。引用箇所は、〈46~7ページ〉。

[edit]

歴史に出てくる鬼1 「『日本書紀』の鬼」 

 鬼が歴史に初めて姿を現すのは『日本書紀』である。そこで、知切光歳氏の著書を見ていくと、
   朝倉宮の妖異と、朝倉山の鬼については『書記』に詳しい。斉明帝七年、帝は同盟関係にあった百済を扶(たす)けて、新羅を伐つべく兵を派遣し、御自らも皇太子以下を率いて九州に兵を進め、朝倉の橘の広庭の宮に遷(うつ) られた。その時、
    「朝倉ノ社ノ木ヲ斬リ払イテ此ノ(仮)宮ヲ作リタマウ。故ニ神、忿(いか)リテ(御)(おう)殿(との)ヲ壌(こぼ)ツ。亦、宮中ニ鬼火ヲ見ル、是ニ由テ、大舎人(おおとねり)及ビ諸ノ近侍スル人、病死者衆シ」
   斉明帝は老女帝に似合わぬ積極的な帝で、戦をしたり、大土木工事を起こしたりして、国帑(こくど)を費消し、国民はだいぶ恨んでいたらしい。行在所(あんざいしょ)の新築にしても何も神木を伐採するには当たらなかった思う。折りも折、国史に初見の鬼火が燃えたり、得体の知れない疫病のために、多くの侍臣(じしん)たちが倒れたので、時人(じじん)が神の怒り付会(ふかい)するのも肯ける。挙句の果は、七月になって帝御自信が不自由な行宮(あんぐう)で崩御された。寿六十八歳。
   八月朔日、皇太子中大兄皇子が、柩を守って磐瀬の宮まで還御の途中、
    「是ノ夕(ゆうべ)、朝倉ノ山ノ上ニ、鬼有ツテ、大笠ヲ着テ、喪ノ儀(ありさま)ヲ臨ミ視ル。衆ミナ嗟恠(あやしむ)」
   この朝倉山上の大きな笠をかむった鬼は、明らかに実在の鬼と『書記』は見ている。(注1)
と述べている。
 この、朝倉山(福岡県甘木市。鳥屋山の南に連なる山々)で斉明天皇の葬儀見ていたモノは鬼であり、それは笠をかぶり蓑を身につけているというものであった。これは客神(まろうどがみ)と似たものを彷彿させる。実際のところ、このころの人々は、鬼は笠と蓑を身につけていると考えていたらしい。


1.知切光歳著『鬼の研究』(〈大陸書房1987年8月〉第一部「鬼の系譜」/「日本神話の鬼たち」/「怨霊鬼蘇我一族」<105~11ページ>)。引用箇所は<107~8ページ>。

[edit]

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。